「萌え」と剣は本日で一旦終了です。長い間のご愛読、本当にありがとうございました!  更新日5月30日
201709 << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> 201711

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「萌え」と剣 第七章
変に顔を歪ませただけの笑いを浮かべ、言い訳をするように早口で喋る父。
その様子を見て、私はやっと父との齟齬に気付いた。なんということだ。
父は大きな勘違いをしている。

「…母は父と離縁なされてからずっと独り身でございます。」

「はぁ!?冗談だろ?…いやいやそうか。オレのせいで結婚自体に嫌気がさしたか。
 でもあれだろ?彼氏くらいはいるだろ?」

グラスに入ったワインを一気に飲み干しながら、酔いでろれつが回らなくなってきたのか、
時々言葉不明瞭にまくし立てる父を見て、
私は居たたまれなくなり手に持ったグラスをテーブルに置いた。

「…私が知り得る限りで母がそのような御仁がおられた事は一度もございません。」

私の言葉に嘘偽りは一切無い。
昔はモテただの引く手数多だっただの過去の武勇伝は耳にタコが出来るほど聞かされた。
しかしその実、男性に言い寄られたり誰かと連れ添って歩く母の姿は見たことがない。
その理由は年頃になった今、理解出来る。
父はだいぶ垂れてきた目を潤ませて口をぽかんと開けている。
どうやら酒はあまり強くないようだ。

「へぇ~。オレはてっきり別れた後にすぐ新しい男でも見つけたもんだと思ってたけど。
 結婚だけじゃなく男自体に嫌気が差したか。」

眠くなってきたのか、大きな欠伸をする父。今が丁度良い機会なのかも知れない。
いつまでも隠す必要はないし、私が東京に来たもう一つの理由でもある。
私はワインを一口で飲み干すと、空になったグラスをテーブルに置いた。

「…実は父上にお伝えしなければならない事がございます。」

ソファーの上でだらしなく姿勢を崩しながら、父は欠伸交じりに返事をした。

「はいはい~。なんでしょ~?」

「母上は先々月、病でお亡くなりになりました。」

私は俯いたまま顔を上げることが出来なかった。父が今、どういう顔をしているか見たくない。

「胃のガンでした。医師の話によると私が大学にいる時に病が発覚したそうでございます。
 私に心配をかけまいと思慮されたのでしょう。
 私が母の病に気付いたのはつい昨年の事でした。
 その頃には既に、ガンは体の至るところに転移しており…。」

私はその時の光景を思い出し喉が詰まった。
毎日仕事で忙しく、久方振りの母との二人っきりで夕飯。
食事を終え、食器の片付けで台所に立っていた母が糸が切れた糸人形のように崩れ落ちた。
大きな声で呼び掛けても反応しない真っ青になった母。
体中の血の気が一斉に引いていき、背中にはじっとり冷や汗が染み渡った。
それから私は慌てて救急車を呼び、病院へ急いだ。
その時に医師に母の容態を聞かされ、落胆よりも悔しさが込み上げたのを覚えている。
何故、もっと早く気付いてあげれなかったのかと。
病床に着くやいなや見る間にやつれていった母。
これまで私に悟られないように必死に隠してきた疲労が表れてきたのだろう。
入院してから僅か二ヶ月で体からは肉が削ぎ落とされたように無くなり、
口数は殆ど無く意識も定かではなくなってきた。
話し掛けても反応せずに窓の外を空虚な目で見つめるだけの母を見て、
また行き場のない悲しみや悔しさに苛まれた。
そして二ヶ月前、一度も容態が回復する見込みなく、母は他界した。
それからは葬儀の準備に忙殺され、悲しむ隙などないまま日々が過ぎた。
母の四十九日が終わり、生活もだいぶ落ち着きを取り戻し始めた頃、
私が思った事は「父に会いたい」ということだった。
まだ生きているはずの唯一の肉親に会いたかった。
そしてこの人なら答えを知っていると思った。
母が亡くなる直前に遺した言葉の意味を。

「母は死に際、枕元で一言こう呟かれました。
 『もう一度、夜桜を。』
 …私には母が何故この言葉を遺されたのか分かりませんでした。
 確かに春になれば近所の公園に桜を一緒に観に行きましたが母と夜桜を、
 という記憶には思いあたりがないのです。
 そこで私はもしかして父上ならば何か知っ…!」

声も発さず身じろぎもする気配がない父を訝しみ、私は顔を上げ驚愕した。
いつの間にかきちんと背筋を伸ばしソファーに座り放心したように口も目も大きく開け放した父。
そのさっきまで閉じかけていた両目から止め処なく涙が流れ出していた。
父以上に目を大きく開いた私を見ても、
父は相変わらず放心状態で滝のように溢れる涙に気付いていないのか、拭おうともしない。
足下には小さな水溜まりが出来ている。
まるで目から水を出す形の石像みたいに固まった父を見てどうしたものかと焦りを感じ始めた私は、
テーブルを指で叩き父に声を掛けた。
三回目あたりでやっと意識が戻った父は、
そこで初めて自分が涙を流していることに気付き、慌てて袖口で涙を拭いた。
少し乱暴にこすり、息子に泣き顔を見られて恥ずかしかったのか、
父は目元を真っ赤にして照れ笑いを作ろうとしたが、すぐに顔を歪めて再び大量の涙を流した。
今度は両手で顔を覆い嗚咽を漏らす父。
その様子を見て私はある事を悟った。

父は未だに母の事を思っていたのだ。
止める術を知らない涙が、全てを物語っていた。


「春に、ひぐっ…なると、毎年…えぐっ、美鈴と…夜桜を、観に…行ってたんだ。ひぐっ。」

散々子供のように泣き尽くして、だいぶ落ち着いた様子の父は
涙声混じりにゆっくり語り始めた。

「美鈴と出会ったのは高校生の時だった。
 スポーツ特待生で地元九州を離れ、オレが高校二年生、美鈴が三年生。
 可憐で明るい性格で憧れの先輩だったよ。
 一目惚れでね、何度もアタックしてその度に玉砕したよ。」

そこで一旦言葉を区切り、テーブルの下にあるティッシュを取り出すと豪快な音を立て鼻をかんだ。
鼓膜が破れるのではと心配したくなるような鼻のかみ方。母とそっくりだった。

「相手にされないというか、半分からかわれていたようなもんさ。
 でもある日、高校の近くにある河原に花見を誘ったんだ。
 そしたら『夜だったらいい』って初めてOKをもらったんだ。
 もう嬉しくってね、あまりに舞い上がって桜なんか観ている余裕がなかった。」

真っ赤になった瞳を潤ませ、遠くを見つめる父。
その表情は、もう戻る事の出来ない昔を懐かしみ、哀愁を浮かべ微笑んでいる。

「それからはデートの誘いもすんなり受け入れてもらうようになり、付き合う事になったんだ。
 美鈴は高校を卒業してから仙台の短期大学に行ったんだけど、
 毎年桜の咲く季節になると戻ってきて必ず夜桜を二人で観に行った。
 オレは美鈴が帰ってくるのを待っていたくて、熊本に戻らず卒業後にあのホテルに就職をした。
 そして美鈴が短大卒業後地元に戻ってきてすぐに結婚をした。」

父はまたティッシュを取り出すと、今度は鼻をかむ代わりに目元にちり紙を押し付けた。

「毎年春になると必ず美鈴と一緒に桜を観に行った。
 一人で東京に出て来てからも、桜を観る度に美鈴を思い出した。…お、…。」

話しているうちにだんだんまた涙声になってきた父の言葉が詰まった。
目元を押さえ肩を震わせながら父は小さく嗚咽を漏らす。
そして喉の奥から絞り出すように呟いた。

「…オレも、また一緒に美鈴と夜桜を、…観に行きたかった。」


母はきっと父の事を恨んでなどいなかったはずだ。
ただ勝ち気な性格な故、素直に許すことが出来なかった。
そして父は父で素直に過ぎたのだ。
母の性格を熟知していたが故に、何も語ることなく姿を消したのだろう。
たぶん離婚届を突き付けた時に父が母に懇願していたならば、
怒り狂いながらもきっと母は許しただろう。しかし許しを得る機会を父は放棄した。
許すことが出来なかった事に、母はずっと後悔したのではないだろうか?

私の脳裏にある光景が浮かんだ。
二歳を少し超えたばかりの私の右手を取り歩く父。隣には左手を握る母。
調子良く母のご機嫌を取ろうとする父に鼻白みながら、
父のような大人に成らないよう私に注意を促す母。
その母の空いた左手を伸ばす先には、漆黒に浮かぶ満開の桜の花びら。
そっと微笑む母に気付き、また上っ調子に褒め言葉を贈る父。
そのやり取りが可笑しく、幼い私はけらけらと笑っている。

儚い妄想だった。
過ぎ去った時間は決して戻ることはないし、人の願いが全て叶う事が無いことも充分承知している。
だから今という時間が在るわけだし、教訓を得ることが出来る。
しかし、今だけは夢を見るくらいは大目に見て頂きたい。
そんな儚い妄想でも私にとっては大事な宝物になる。
捏造した思い出だけれど私は微笑む事が出来る。
私をこの世に送り出した父と母の思いを知ることが出来た。私にはそれだけで満足だった。

涙も出尽くしたのか父はもう一度盛大に鼻をかむと、声を出して笑った。

「息子の前で情けなくも泣いちゃいましたよ~!お前の泣き虫が伝染っちゃったぞ!」

既にぬるくなったワインを一息に飲み干す。
赤ワインを飲むには常温が好ましいが、暖房が効いた部屋では少し温度が高すぎる。
しかし父は気にせずにグラスにワインを注ぐと、美味しそうに一口飲んだ。
私は母と酒を酌み交わしたことがない。
元々苦手なのかも知れないが、病魔に体を蝕まれアルコールが入る余裕などなかったのだろう。
だからこんな風に父とお酒を飲める事が嬉しかった。
よく「息子と酒を酌み交わすのは親父の夢」などと言われるが、それは息子とて同じである。
東京を訪れる前に、もしもこのような機会があったら尋ねてみたい事があった。

「若かりし頃の母上はどの様な方だったのでございますか?」

私も父に倣い目の前のワインを一気に飲み干し、手酌でグラスに注ぎ足した。
私にとっても母はかけがえのない女性である。
父一人が思い出を隠し持たれては少々ズルい。

「美鈴か?あれは昔から傲慢で高飛車だけど愛嬌がある女だったぞ!
 それこそ高校の頃なんかな…」

以前、母から聞かされていた武勇伝に輪をかけて派手なモテ話から始まり、
付き合いたてのデートで父が失敗した話や遠距離恋愛中のエピソードなど、
父は終始満面の笑みを浮かべながら嬉しそうに語った。
そして話は結婚式から新婚生活になると父の瞼はだいぶ重みを増し、
母が私を身籠もった話をしながら父はいつの間にか眠りに落ちた。
シワが目立ち始めた顔に微笑みを浮かべながら。
そんな父を同じ表情で見つめながら、いつしか私も眠ってしまっていた。

スポンサーサイト

Comment

 秘密にする

● 
お母さん、亡くなってしまったんですね(涙)
この2人は離れている間でも想い合っていたんですね(驚) だったら途中連絡をするとか考えなかったんでしょうか? 
お母さんはきっと、病気を知ってから怖かったし心細かったのでは? どんな気持ちで死んでったんだろう?
自分にも何時起こるか分からない事だから、後悔の無い毎日を送りたいですね~。

高飛車な女性…何処かで聞いたような…気のせいかしら?
| URL | 2008/10/30/Thu 14:52[EDIT]
Copyright © 「萌え」と剣. all rights reserved.
さくらと空 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。