「萌え」と剣は本日で一旦終了です。長い間のご愛読、本当にありがとうございました!  更新日5月30日
201707 << 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> 201709

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「萌え」と剣 第五章
『メイドdeバー』を後にして、私は今後の予定が少々気になった。
時間は既に22時を過ぎている。
街には人影がまばらになり始め、うざったい稚拙なネオンサインは消灯していた。
特に宿泊先を予約していない私は、どこかのシティホテルにでも行くつもりだった。
残念な事に東京に友人を持っていない。
しかし、このまま父と別れてしまうのは実に惜しすぎる。
『メイドdeバー』に入る前はいち早く父から離れ、儚い妄想と共に父親と縁を切りたかった。
だが今は全く逆の気持ちだ。父ともっと話がしてみたい。
父の軽薄な態度や物言いは好きになれないが、興味があった。
それに、同じサービスマンとしての父のポリシーは尊敬に値するが、
父親としてのこの人を認めた訳ではない。
そしてもう一つ、父にどうしても伝えなければならない事があった。

私がどうするべきか思案に思案を重ねていると、
父はそんな息子を気にする素振りもなくずかずか歩き始めた。
私は慌てて父の後を追いかけると、父はやっと振り返り

「お前、まだ飲めるか?」

と、尋ねた。
幸い、先程のバーでは大した量は飲んでない。
そんなにアルコールには弱くない体質なので、
まだ付き合えと誘われればご相伴に預かる余裕はある。
ソレより何より、父はまだ私に付き合ってくれるらしい。
心の中の懸念が氷解していくと同時に、僅かな喜びが胸を掠めた。
しかし、私は腕時計を見つめながら気になった事をそのまま口にした。

「私は一向に構いませんが、また何処かの店に行かれるのですか?
 時間にして、ちと遅すぎると感じますが。」

「俺んちで宅飲みでいいだろ?」

父の返事を聞いて、私は東京に来る前に抱いていた懸案事項を思い出し顔をしかめた。
思えばもっと早くに聞いておくべき事だったのかも知れない。

「つかぬ事をお伺いしますが、…その、父上は家族をお持ちではないのでございましょうか?」

かなり立ち入った質問だと自分でも思ったが、
これから父の住まいにお邪魔する以上、聞いておかねばなるまい。
もしも、父が新たな家族と所帯を構えていたら、
少なくとも私は招かれざる客になるに相違ないだろう。
しかし父は怪訝な表情を浮かべ、さもつまらなそうに言い捨てた。

「あなたの父上はずっと独り身です!」

そして身を翻すと私に構う事無く歩き出した。
父の言葉を聞いてホッと胸をなで下ろした自分がいる。
根拠はないが父を一目見た時にそんな気がした。
しかし聞けなかった自分も悪いのだが、
坂本総支配人ももう少し父の事を教えてくれても良かったものだ。
父と似たような悪態をついた自分がつい可笑しかったのか、
少し頬を緩めながら息子の歩調など全く気に懸けようともしない父の背中を追いかけた。


「ところでお前、彼女とかいるの?」

いつの間にか横に並んで歩いていた父が、顔は前を向いたままで聞いてきた。

「え、えぇ。一応はおります。」

自分から質問をしてきたにも関わらず、父は興味なさげに「ふぅん」と呟いただけだった。
父にとっては話のネタ程度に聞いてみただけなのだろうか。
メイド達と接する時とはだいぶ態度が違うようだが、
この人の性格を徐々に理解してきたので特に気にならなくなった。

「…まだ申し上げておりませんでしたが、来年の7月に祝言を上げる予定でございます。」

話ついでに、と言うよりも早めに報告しておきたかった事だったので、
良い機会と思い言ったのだが、またもや父は「ふぅん。」と呟いただけだった。
これには少し腹が立った。
いくら24年ぶりといっても、我が子が結婚するというのならば
親としてそれなりの感慨があって然るべきなのではないか。
興味がないにも程がある。
それとも先に総支配人の口から聞いていたのだろうか、
と思い尋ねたが「いいや。」と答えるだけだった。
涼しい顔で隣を歩く父に、だんだんと腹の底から怒りが込み上げてきた。
それは確かに自分は無理をして会いたい人物ではないだろう。
無碍に断る訳にもいかずにとりあえず会いに来させたのだろうが、
もう少し対応があるのではないか?
それなら初めから私の事など無視をしていてくれてれば良かったのだ。
父の対応が気に入らず、憮然とした態度をした私に気付いたのか、
父は横目で私を一瞥して軽く溜め息をついた。

「…お前は狼から『肉を食べるな!』と言われて素直に納得出来るか?」

私は一瞬戸惑い、思わず立ち止まってしまった。
父の言っている意味がよくわからない。
歩調を合わせていたので、私につられて立ち止まってしまった父は、バツが悪そうに頭を掻いた。

「すまん、例えが悪かったか。
 つまりお前は一度結婚を失敗した男に『幸せになれよ』と偉そうに言って欲しいのか?」

私は驚いて父の顔を凝視した。
そこにあるのは父親でもなく友人でも他人でもない複雑な心境を物語った男の顔があるだけだった。
それはまさしく、私と父の関係を率直に表していた。
私にとって目の前にいる男性は、24年前も昔から一度も会っていない、
戸籍上は赤の他人だがどの親族よりも血縁は最も濃いであろう、
一番近くて一番遠い存在だ。
父にしてみても同じはずだ。ここにきてお互いだいぶ打ち解けたように振る舞ってはいるものの、
微妙な関係を超越出来ずにあやふやな接し方しかできない。
その当の息子が、自分が守れなかった、もしくは守らなかった家庭の安らぎを築こうとしている。
父親として掛けるべき言葉など口が裂けても言える訳ない。
そんな父の心の中が一瞬だが理解出来た。
出来たが故に、私は無言で父から顔を背け、歩を促した。
父は下を向き、それまでのように渋滞無く歩を進める。
私は少し早足で闊歩していく父が隣を歩くのを拒んでいるように感じ、数歩離れて歩いた。
せっかく縮まりかけたのにまた開いてしまった距離を感じ、
私は父の背中を見つめ寂寥感を聞こえない程の溜め息で押し出した。

しばらくお互い何も語ることがないまま鬱屈とした気持ちを抱いて夜の電気街をただ歩いていたが、
急に立ち止まった父が私を振り返りながら「ここで酒買ってくから」と言った。
父が指差す建物を見ると、確かに『安倍酒店』という簡素な看板が掲げられている。
それは構わないのだが、建物の造りがどう見てもコンビニエンスストアのそれと一緒だ。
通常ならば店舗内が外からでも見えるようガラス張りになっているはずだが、
塗装で塗り潰しているためか、店内の様子は窺えない。
しかし失礼ながらあまり繁盛しているように思えないが、父の懇意にしている店だろうか?
そんな事を考えつつ店舗を眺めていたが、
気付けば隣に居たはずの父は既に自動ドアをくぐって店内に入ろうとしていた。
私は慌てて父の後を追った。


目をつくほどの蛍光灯に照らされた店の中を見渡して私は唖然とした。
店舗内の所狭しとあらゆる種類の酒が陳列されている。
天井に着くのではと思うほど背の高い陳列棚の更に上まで酒のボトルが積まれている。
並べきれない商品は段ボールに入ったまま地べたに置かれていた。
まるで大手リカーショップの敷地をそのまま凝縮したような酒屋だ。
しかし父はそんな文字通り山と積まれた酒類には目もくれず、レジに向かって歩き出した。
その先を見ると、女性が一人座っていた。
白髪じりの長い髪を後ろに束ね、針金のような細い腕に顎を支えつまらなそうに座っている。
顔に刻まれたシワを見る限りでは齢60後半といったところだろうか。

「こんにちはマダム。ご機嫌は如何かな?」

それまで無表情だった父が、女性の前に立つと急に笑顔を作り礼儀正しく話しかけた。
その変貌ぶりに少し驚いたが、父の表情がどこか嘯いたように見えたので、
私は少しの間、父とこの女性とのやり取りを傍観する事にした。

「…ご機嫌ね。何とも言えず最悪な気分よ。」

マダムと呼ばれた女性は目の前にいる父を見ようともせずに言い捨てた。
そしてつまらなそうに欠伸を漏らす。

「それは宜しくない。マダム、よろしくばその訳を私めにご教示賜りますよう。」

そう言いながら胸に手を当て深々と頭を下げる父。
なんだこれは?下手な演劇を観ているようだ。

「…そうだね。いつもは生意気な口を聞きやがる小僧が
 腑抜けな言い回しをしてくるんだ。それが気に入らないんだがね?」

「なるほど、では。
 居眠りこかねぇでちゃんと店番してたか、クソババア? …これで如何でしょうか?」

表情は満面な笑みを浮かべた父が、目の前の女性を口汚く罵った。
それを聞いた女性は、グリム童話に出てくる魔女のように口角を上げると、
かすれた声で笑い出した。

「下らない芝居に付き合わせるんじゃないよ!何を買いに来たんだい!デレクター!?」

「ディレクトゥールだって何回言えばわかるんだ!いい加減覚えやがれ!クソババア!」

仮面のような笑顔から一転、メイド喫茶で見せた無邪気な笑みを
顔に浮かべ女性の肩を叩く父。
お互い罵り合いながらさも愉快そうに高らかに笑い合う様子から、二人の親密度が窺える。
店内にはなおも二人の笑い声がこだましていた。

一通り笑い転げるのにも飽いたのか、目尻の涙を拭いながら女性はそこで初めて私を見た。

「これがこないだ話していた息子かい?お前さんとこのメイド達が教えていってくれたよ。」

そう言うと女性は品定めするかのように
フクロウに似たギョロリとした眼差しで私の頭から爪先まで何度も見た。
不躾な視線だったが、父と昵懇の仲だということが念頭にあったので、
私は背筋を伸ばし自己紹介をした。

「お初めお目にかかります。西村正宗と申します。
 以後、お見知り置き賜りますよう宜しく存じ上げます。」

慇懃に頭を垂れると、女性は柔らかい笑みと共に右手を差し出してきた。

「ここの店主、安倍苗子だ。父親に似ずに礼儀正しい坊やだ。
母ちゃんが離婚してくれて正解だったね。」

「おい、クソババア。そりゃどういう意味だ?」

「あんたみたいな男が近くにいたら情操教育にさぞ悪いだろうね、って話だよ!」

横槍を入れてきた父を嬉しそうに一喝する安倍苗子。
それが癪に触ったのかまた父が口汚く応酬したので、
しばらくは稚拙な口喧嘩を繰り広げることになった。
旧知の友のような、永年連れ添った夫婦のような、反りが合わない好敵手のような、
そんなやり取りを私は目を細めて見ていた。
入店してから早20分。お互い身体的、精神的欠点を上げつらえ、
言いたいことをを言い尽くしたのか安倍苗子は深呼吸を一つつくと「で?何を買いにきたの?」
と、最初にもした質問を父に問いた。
父は腕を組みしばらく考えると、「赤ワインかな」と言った。
すると安倍苗子は腰掛けていた椅子から立ち上がり奥にある小部屋に入り、
しばらくして一本の赤ワインを持って出てきた。

「オーパスワン。90年ものだけどいいだろ?」

無造作にレジの上に置かれたボトルを、私は畏敬の眼差しで見ていた。
飲食業界に携わっているので、ある程度ワインについての知識も自然に身に付いてくる。
なので今目の前にあるワインの味はわからなくても価値はわかる。
オーパスワンの90年ものだったら軽く三万円は超えるはずだ。
如何せん片田舎に住んでいる貧乏人なので目にする機会といったらネットショッピングぐらいである。
実際に目にするのも初めてだ。
食い入るようにボトルを眺めていた私の隣で、父は腕を組んだまま首を傾げ

「80年ものは無いの?」

と尋ねた。
父と同じように腕を組んで腰掛けていた安倍苗子の右眉がピクリと上がった。
そして舌打ちをしてカウンターに置かれたボトルを乱暴に掴み、また奥に消えていった。
私にはこの酒屋の店主の態度が合点入った。
何故ならオーパスワンの80年は史上最も寒い成長期を迎えるが、
収穫前にやってきたニ週間の暖かい日差しにより、急激な成長を促すこととなり、
結果、葡萄の糖分が増すこととなった。そのためプレミアムワインと言われている。
値段も倍近く違うはずだ。
憶測だが、この女性はただ父と仲が良いだけではなく互いの深い事情まで知り尽くした仲であろう。
なので懐事情は知って当然だろうから、それに見合ったワインを選んだはずだ。
しかし、父は更に上を要求した。
私には安倍苗子の舌打ちが「息子の前で見栄を張るんじゃない」と、言ってるように感じた。

奥の小部屋からボトルを持って戻ってきた店主は先ほどと違い、
精巧なガラス細工を扱うがごとく静かにカウンターの上に置いた。

「まったく。外じゃあ全然酒を飲まないくせに知識だけは余計にあるときたもんだ!嫌みな男だよ!」

悪態をつきながらワインと一緒に持ってきた缶ビールのタブを開け豪快に飲み干し、
店主はおくび交じりにそう言った。
随分と目を覆いたくなるような品がない態度だが、
それよりも安倍苗子の言葉に気になる箇所があった。

「父上は、お酒がお召しになれないのでございますか?」

あのバーで父が何を飲んでいるかあまり気にもなかったが、
店主の言葉が事実ならばあれはノンアルコールだったという事だ。
しかし理由がわからない。バツが悪そうに眉間に皺を寄せ、安倍苗子を睨みつける父。
だが睨まれている当の本人は、何の事やらわからず呆ける私を見て、
全て悟ったようにニヤリと意地悪そうな笑顔で父の代わりに答えた。

「この男はね、以前酔っ払って他の女と寝て以来、家の外や他人と酒が飲めなくなったんだ。」

「クソババア!」

父の怒号が店内に響き渡った。それでも安倍苗子は構わず話を続けた。

NEW!更新日5月13日

「たった一回の失敗で全て捨てなくちゃならなくなった惨めな男さ。
 何だい、あんた?まさか息子に隠したままやり過ごすつもりだったのかい?
 そんなもんいずれバレるんだ。」

唇を噛みしめ、握った拳をふるわせている。
安倍苗子は顔を真っ赤にした父を真っ正面から見据えた。

「20年以上も前に捨ててきた息子を相手になに今更良い格好しようとしてるんだい!
 あんたが見てもらうのは格好良い父親じゃなくて下らない馬鹿な大人の男だろ!
 反面教師だって子供にとっちゃ単なる糧さ!」

父以上の怒号で一気にまくし立てた。
やせ細った針金のような店主の迫力に押され、私と父はたじろぐ。
私は突然訪れた事実に対処出来ず、店主の言葉がただ頭の中を駆け巡っていた。
…一番知りたいはずだった事実。
…父と母と私が離れ離れにならなければならなかった理由。
安倍苗子の大声がまだ耳に残っているのか、耳なりが止まらない。
しかし、次に聞こえてきたのは父の深い溜め息だった。

「…愛は無かったよ。
 会社の同僚でね、忘年会の二次会で酒が入っていたせいかそういう雰囲気になった。
 朝起きた時には取り返しのつかない事をしてしまったと、後悔した。
 最初は隠し通そうと思った。向こうもそれっきりの関係だと分かっていたし。
 でもそれから1ヶ月後、家に帰ったらテーブルの上に
 判を押された離婚届があるのを見て全て悟ったよ。あぁ、バレたんだなって。」

苦虫をこれでもかと噛み潰したような顔で力無くうなだれる父の姿は、
私の心に重く突き刺さってきた。
本来ならば見たくもない父の姿だが、何故か目を反らせない。

「母さんの性格はお前が一番わかっているだろ?
 一度決めた事は梃子でも覆せない、頑固な女性だったからね。
 紙切れ一枚突き付けてくるってのは話し合いの余地すらないってことさ。
 だからオレは手続きだけをさっさと済ませ、お前を置いて東京に逃げてきた。」

父の言葉を聞いた刹那、頭の中で何かが真っ白に弾けた。
そして映写機のように私の記憶にある映像を再生していく。
24年前の冬の朝。雪が空からとめどなく降り続いていた日だった。
まだ二歳児だった私の頭を優しく撫でた父。
頭から手を離すと小さく「すまん。」と言った父。
踵を返し、一度も振り向く事無く遠ざかる父。
その背中を見えなくなるまで見送った幼い私。
家の中から私を呼ぶ母。
父の姿が見えなかった後もなお、動かなかった私。
痺れを切らして玄関に迎えにきてもう一度、中に入るよう催促する母。
首を振る私。
もう一度、催促をする母。
首を振る私。
雪はなおも降り積もる。
あたり一面を真っ白に侵食していく。
動かない私を見下ろし溜め息をつく母。
手がかじかみ、凍える体を小刻みに震わせる私。
そんな私の体を温かい母の両腕が包み込んだ。
本当に温かかった。
強張っていた体がゆっくりと弛緩していく。
不思議と涙が溢れてくる。
後ろから白い息を吐いて、母が私に呟いた。

「あの人の事は忘れなさい。」




途端、腹の底から憤怒が湧き出した。何故かはわからない。
ただ、常に精神を律している理性が軽々と引きちぎられて飛んでいった。

「あなたがっ!!」

それまで石のように黙り込んでいた息子が怒りを露わに憤慨したので、
父は目を白黒して立ち竦んだ。
まるで叱られる直前の子供のような姿だった。
誤魔化すような怯えるような表情。決して見たくない父の表情だった。

「あなたがっ!あなたがっ!!」

放課後、家に帰っても誰が待っているわけでもなかった。
夜は母と二人っきりで夕飯だった。
図工の時間に父親の似顔絵を描いてくるよう宿題を出された。
母の絵を描いていった。
日曜日になると公園では近所の同級生が父親とキャッチボールをしていた。
一人でブランコを漕ぎながらその光景を眺めていた。
父がいてくれれば、と願う気持ちをいつも押し込めて生きてきた。
大事に育ててくれた母に申し訳なく感じたからだ。
父を欲する気持ちが生まれては押し込め生まれては押し込め、
いつしか心の片隅に大きな瘤が出来てしまった。

「あなたがっ!…あなたが!」

父が憎かった。
私と母を置き去りにした罰を償って欲しかった。
両手をついて謝罪をして欲しかった。
私達に許しを乞って欲しかった。
散々罵ってやりたかった。
力の限り殴りつけてやりたかった。
積年の苦しみをぶちまけてやりたかった。

「…あなたが!……父上が…。」

だが、出来なかった。どうしても父を恨み切れなかった。
腹の底からはなおも収まりがつかない怒りが溢れかえってくるが、
それが体の外側に出ることはなかった。
代わりに目からは止め処なく涙が溢れ出てきた。
私をこんなにも悲しませ惨めな気持ちにさせたはずの張本人をどうしても嫌う事が出来ない。
葛藤を繰り返す心の中で自ずと導き出された答え。私は自ら流した涙でその訳を知る。

父が大好きだった。

長年一度も会うことの無かった父を、
数時間前に再会したばかりの父を、
態度は軽薄で取っ付きにくい父を、
世界に一人しかいないこの世に私を送り出してくれた父を、
私はずっと大好きだった。

爪の後がくっきり付くほど握り締めていた両手は、いつの間にか涙を拭っていた。
私は見栄もプライドも全て忘れて大声をあげて泣き叫んだ。
子供のように泣き叫んだ。
そんな私を、困り果てたように頭を掻いて見ていた父は、おずおずと近付くと優しく抱き締めた。
後ろに回した手で私の背中を撫でながら「泣くんじゃない」と囁く父。
その声が、父の声があまりに優し過ぎて、私は更に大声をあげて泣き出してしまった。

頭の中に映し出されていた過去の光景が再び回り出す。
私はブランコを漕ぎながら、父親とキャッチボールをしている同級生を眺めていた。
父親の返球が強すぎたのか、ボールはグローブを弾き同級生の顔に当たった。
泣き出す同級生をあやす父親。
その光景を羨ましく感じながらも目を逸らした私。

あの雪の日。私が父にして欲しかったのは、頭を撫でてもらう事ではなかった。
今のように、優しく抱き締めて欲しかった。

スポンサーサイト

Comment

 秘密にする

● 
全俺が泣いた
| URL | 2008/05/16/Fri 18:42[EDIT]
● 
なんだか泣けてくる話ですね(涙)
息子も父上も複雑な心境なんでしょうね。
我が子達も数年後にはこんな感じにさるんでしょうかね?
先々が不安ですね(汗)
| URL | 2008/10/28/Tue 18:06[EDIT]
● 
>>夢さん
どうなんでしょうね。私の想像で書いたことだったので。
でも夢さんが一生懸命愛情を注げば寂しいって事はないと思いますよ♪
うちの息子は薄情なので離婚したら存在自体を忘れられそうな気がします。
要人(かなめびと) | URL | 2008/10/29/Wed 06:26[EDIT]
Copyright © 「萌え」と剣. all rights reserved.
さくらと空 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。