「萌え」と剣は本日で一旦終了です。長い間のご愛読、本当にありがとうございました!  更新日5月30日
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「萌え」と剣 第四章
サービスマンを生業とする者ならば必ず身に付いてしまう癖がある。
それは他の飲食店に行くと、従業員の身だしなみや立ち居振る舞い、
話し口調やサービス技術の良し悪しに自然と目がいってしまうことだ。
それだけではなく、ホール内の清掃や照明に不備がないかまでも目についてしまい、
自店舗との優劣を天秤にかけてしまう。さらには飲食店だけではなく、
コンビニや果ては役所の窓口係の応対までも逐一気になって仕方がなくなる。
これはもはや一種の職業病のようなものだろう。
その中で、食事に集中するでもなくサービスマン達の動きに目を奪われていると、
ふとある違和感を感じる時がある。
それはサービスマンの動きや話す言葉に混じっているのだ。
歩く時の靴の音。曲がった背筋。ホール内で髪を掻き分ける仕草。汚れたワイシャツ。
テーブルに置かれた料理が逆向き。マニュアル通りの料理説明。
間違った使い方をしている日本語。待機中に他スタッフとの無駄話。
手を挙げている客に全く気付かない。非道い時は挨拶をしないスタッフ…。
サービスマンやそれに似通った職種の人ならばすぐに気付くが、
そういった小さいミスや手抜きがそうではない来客に違和感を抱かせる。
まるでレコードの中に紛れたノイズのように。
残念ながら私が勤めているホテルでも全く無いとは言い切れないし、
私自身も自信を持って完璧なサービスを提供しているかと問われれば、否である。
しかし、あの店のメイド達の言動や立ち居振る舞いをもう一度思い返してみると、
驚くことに完璧だった。
お辞儀の角度。自然で絶対途切れない笑顔。リネンの行き届いた制服。
きちんと伸びた背筋。お茶の出し方、置き方。決してまごつかず社交性溢れる会話。
客の要望を瞬時に把握し先回りをした応対。
巷に溢れる飲食店やホテル、接客というエリアに必ずはあるだろう違和感が全く無かった。
何故、私がその場で気付かなかったの言い訳をさせてもらえば、
やはり父のことが気掛かりだったのと、それより何より、

「そこに相対する客が居れば、高級ホテルだろうがメイド喫茶だろうがキャバクラだろうが、
誠心誠意を込めてもてなす立派なサービスの現場だ。
うちのメイド達の可愛さに鼻の下伸ばして自分の本職忘れてしまったのか?未熟者め。」

そういうことなのである。
父の言葉通りに私がただ単に未熟者だったのである。

「坂本が何故オレの店の事をお前に話さなかったか、理由が何となく分かるよ。
 なかなか良い教育者になったじゃん、坂本。」

「し、しかし!何故あの店のスタッフはあんなに完璧なのですか?
 見たところ普通のメイド喫茶ではないですか!正直、私には考えられません…。」

「お前の言いたい事は大体分かるけどさ。
 教えてもいいけど、一応これ企業秘密になるんだよね~。サオリたん、どうする?」

父はさも得意気な顔で顎に指をあて考えるフリをした。
話を振られたサオリは笑顔を崩すことなく、グラスを布巾で拭きながら答える。

「教えて差し上げても宜しいのではございませんか、ディレクトゥール?
 それにサオリの目には、話したくてウズウズしているディレクトゥールが映ってますけど、
 これは気のせいでしょうか?」

そう言うとサオリは首を軽く傾け、父にウィンクを飛ばした。
父の顔が一瞬でにやける。

「しょうがない!不出来な息子に当店の秘密を明かしちゃいましょう!」

言う言葉がいちいち癪に触るが、一切反論出来ない。
それがまた悔しいが、サービスマンとしての探究心がどうしても勝ってしまう。

「御教授の程、宜しくお願い申し上げます。」

「うむ♪じゃあ最初に聞くけど、
 お前んとこのホテルでもサービストレーニングとか研修みたいなのやってるでしょ?」

「は、はい。毎月一度は必ず行っております。」

「うちでは毎日必ずやってます。」

「毎日!?」

驚くよりも呆れの方が先に出てきた。毎日研修をする必要性が一体どこにあるのかがわからない。

「研修とかトレーニングってさ、やった後って凄く頑張ろう、
キチンとしたサービスをしよう、って思うでしょ。
それは良いんだ。問題はその後。果たして研修の時の熱意はいつまで継続すると思う?
個人差があると思うけど、いいとこ三日間くらいじゃね?」

そう言われてみれば、父の言うことはもっともだろう。

「だから毎日すれば良い、ですか?それはあまりにも安直過ぎは…」

「結果はお前が実際見ただろ。何言ってんだ?
 なのでうちでは出勤してから一時間は必ず裏方でサービストレーニングや接客、
 会話の練習をやらしているのだ。
 それにうちでは二時間、長くても三時間に一度は絶対に休憩を取らせるようにしている。
 何故か分かるか?」

「集中力が持続しない、からでしょうか?」

「はい正解。
 特にメイド喫茶なんてある程度のテンションと自己暗示がないと、やっていけないからな。
 そうとう精神力すり減らすと思うぞ。 本人に自覚が無くても絶対言動に出るから。
 だからメイド達のクオリティを落とさない為に必ず休憩は必要だ。」

一気に話すとドリンクに手を伸ばし、一息に飲み干す。

「サオリたん!次は『萌え萌えバナナン』で!」

「かしこまりました♪ディレクトゥール♪」

「で、我が息子にはジンフィズでよろしく!なんか好きらしいから。」

父の言葉を聞いて心臓が止まるかと思った。
何故、この人は私の好きなカクテルを知っている?
すると、父は私の顔を覗くとさも嬉しそうにしたり顔を浮かべた。

「これが当メイド喫茶の第三の秘密。顧客の情報管理だ。」

父の言葉を聞いても疑問は一向に解決しない。
私の頭の中は疑問符で埋め尽くさんばかりだ。
父はいちいち驚く私を見るのが、至極愉快でたまらないらしい。
今にも高らかに大笑いしたいのを、無理矢理堪えているような表情を浮かべている。

「ヒントその一。あなたはメイド喫茶で何をしましたか?
 ヒントその二。あなたはメイドと何をして遊びましたか?
 ヒントその三。あなたは」

「…ババ抜き、ですね?」

驚くよりも信じらんない気持ちでいっぱいだった。
別段、メイドが知った私の好みを父が知ったとしても不思議なことはない。
しかし、先ほど父が言った単語とメイドの行動を合わせると、やはりありえない。

「…それは、一流ホテルや高級レストランがする事であって…。メイド喫茶で…まさか。」

「だから、そこに客がいるんなら高級レストランだろうが風俗だろうが
 サービスの現場だって言ってるだろうが、未熟者が。」

父はつまらなそうに言い捨てると、着信があったのか胸元から携帯電話を取り出した。

「はいはい♪ごめんねナナコたん、集計頼んじゃって。うんうん、今日は新規が13、
 リピーターが…ほぉ、15!凄いじゃん!そうすると月別進捗率は…おぉ、だいぶいい感じだね♪
 リピーターの経験値率は?…まぁ、そんなとこか。わかった!
 ありがとう!気を付けて帰るんだよ。ナナコたん超絶かわゆいんだからね!
 世の中にはナナコたんが思っているより変態が多いからね!うん、じゃあね♪」

なんの電話だ?それよりもまだ父の講義の最中だ。
続きが気になって仕方がない。

「さて、何の話をしてたっけ?」

「顧客の情報管理について、です。」

「あぁ、それね。当店では一度でも来店した客の情報は全て管理をしている。
 氏名、年齢、住所、職業、家族構成、注文したメニュー、好きな食べ物、タイプの女の子、
 よく見るアニメ、集めているマンガやラノベ、持っているフィギュアの数とキャラ、好きなエロゲ。
 それら全ての情報をメイズ全員で共有し、再来店したときの会話のネタにする。
 うちの可愛いメイド達から前回話した内容を覚えてもらったら、誰でも喜ぶぜ。
 すると嬉しくなっちゃってまた来店する、って寸法さ。」

「その情報を収集するために、わざとババ抜きをするのですね。」

「そういうこと♪普通ならメイドさんとトランプ遊びをしたり、写真を撮ったりは有料なんよ。
 でも客は初回特典くらいにしか思わないから、
 初めて来て緊張している客も楽しんで自分のことをポロポロ話してくれるよ。」

ホテル、レストランといったサービス業界だけではなく、一般の企業や行政機関でさえ、
年々顧客獲得のためサービス面の強化を重要視している。
そしてリピーター増加とCS(顧客満足度)上昇を狙い、
現在ホテル、レストラン業界で力を入れているのが、顧客の情報管理である。
しかし、情報収集の難解や人件費、システムを上手く生かせていないなどの諸問題で、
まともに収集した情報を活用出来ている企業や店舗は、そう多くない。
私が勤めるホテルでも顧客情報管理システムを導入しているが、
一部のスタッフは使いこなせているが、全員が上手く活用出来ているわけではない。
まずは、お客様から情報を聞き出す時点で難航している。
父は、あのメイド喫茶は、自らの特性を見事に生かし
現在我がホテルが抱える問題をあっさりと解決してしまった。

「お前んとこもだいぶ苦労しているようだけど、そのうち解決するよ。」

「それは、何故ですか?」

「坂本に良案を教えといたから。あいつこないだ、教えようか?って言ったら
『自分で考えるからいい』って見栄張っていたくせに一昨日に電話きて
『やっぱり教えて』だって。素直じゃないのは昔からなんだもん。あのツンデレめ。」

「それは、どのような妙案でございますか?」

父に質問したのと同時に、サオリが飲み物を運んできた。
父は私の質問に答えるわけでもなく、乳白色をしたドリンクを美味そうに飲む。
そんな父を眺め、心中で小さな溜め息を一つ付き、私もジンフィズを口に運ぶ。
刺激的で複雑な香草の香りを、柔らかな気泡がのどの奥へとさらっていく。美味い。
私はもう一口、口に運びながら父の方を横目で見た。

「ねぇ、サオリたん。なんで今日はいつものやつ、やってくれないの?
 あれがないとせっかくのドリンクが美味しくならないよ~。」

子供のように両手をバタバタ振る父に少し困惑が混じった笑顔を向けたサオリが、
一瞬私をチラッと見た。
その顔を見て、私はすぐに心得た。

「サオリさん。私も拝見したいのだが、いかがだろうか?」

私の一言で、彼女の顔から困惑の色は消え失せた。
そして、「では」と短く了解を取ると、カウンターに両肘を乗せ、
手のひらに顎を置き少し小首を傾げる。

「…サオリがディレクトゥールのために一生懸命作った『萌え萌えバナナン』…美味しいですか?」

思わず唾を飲み込んでしまう程、サオリは色っぽい表情を作った。
そう、妖艶と表現しても余るくらいに。

「うん。美味しいよ♪」

「本当に、…美味しいですか?」

「もちろん。美味しいに決まってるさ♪」

「本当に本当?」

「本当に本当♪」

すると彼女は、艶めかしい雰囲気を一転、無邪気な笑顔に変えると、
「良かった♪」と言い、立ち上がった。
きっとこれはメイド喫茶でアヤが私に施したおまじないと同じ類のものだろう。
それにしては、このバーのメイドは随分と演技派だ。
鼻の下をこれ以上伸びるのかという程に伸ばした父は、
また美味しそうにドリンクを口に運ぶながら先程の私の問いに答えた。

「それは秘密だ。坂本の楽しみを奪ってしまう。
 あいつもみんなの前でさも、自分が考えました!的なことしたいんじゃない?
 それにここだけの話な、お前んとこのホテルの経営策にオレかなり口出ししてるし。」

「え…、そうなんですか?」

「だって坂本がいっつも『どうしたらいい?』って甘えてくるんだもん。
 ちなみにパートタイマーを廃止してスタッフ全員社員、ってアレ。
 実はオレが考えたんだよ。」

この事実にはかなり面食らってしまった。
スタッフ全正社員制度は、サービスの質を均一にするなら立場を均一に、
という狙いでスタートしたと聞いたことがある。
勿論、以前まで働いていたパートタイマーが全員解雇にされたわけではなく、
希望者や適性がある人達はそのまま正社員に昇格された。
最初は賛否両論分かれた企画だったが、結局はスタッフの労働意欲向上に繋がり、
スタッフのサービスマインドも段違いに向上した、
と総支配人が夕食をご一緒した時に話していた。
ちょうど私が入社をした時期が、スタッフ全正社員制度が軌道に乗り始めた頃で、
人材確保のため私も含め多くの新入社員が新規採用された。
例年と比べ2倍の数の採用だったため、
私達入社の年を「プチ団塊」などと言う人までいた始末だ。
その話を聞かされた時に、総支配人の経営手腕と決断力には並々ならぬ
尊敬の念を抱いたものだが、まさか父の進言だったとは…。

「さて、あとうちのやってることって言ったら、サオリたん。何かあったっけ?」

「そうですね…。ディレクトゥールが大好きな『スパイ』とかでしょうか?」

サオリはグラスを拭いていた手を止め、考えるような顔を作り、すぐに答えを出した。
きっと私達の話を聞いていて、いつ話を振られてもいいよう心構えていたのだろう。
父の話を聞くと、メイド達にそのくらいの期待にも似た警戒心が芽生える。


「あぁ、それがあったか。」

「ええ。私はあのスパイが未だに慣れることが出来ませんわ。」

サービス業界ではなかなか耳にしない単語である。
これもまた父が独自に発案したサービストレーニングの一つなのだろうか。

「まぁ、確かに言い方は良くないわな。
所謂あれだ、お客さんの中にメイズには内緒で調査員を来店させるんだ。月に一回だけどな。」

父の簡単な説明で合点が入った。このサオリが嫌がるのも納得いく。

「ディレクトゥールは私達メイズを信頼していないのですわ。サオリは悲しくて涙が出ちゃいます。」

そう言うとサオリは持っていた布巾で顔を覆う振りをした。
あくまでも振りである。
父の話に耳を傾けながら横目でサオリの接客を観察しているが、今のところは申し分なく完璧だ。
練達なサービスマンは、ホール内で首から上には絶対に手を触れない。
基本中の基本である。
彼女は一通り泣き真似を止めると、我々に見えるように布巾をダストボックスに入れ、
すぐに後ろにある戸棚から新しい布巾を取り出した。
こちらを意識しながらもごく自然に振る舞う姿が、また完璧だった。

「確かに理にかなったトレーニングかとは存じますが、
 あまり関心出来る方法のように思えませんね。」

ホール内で業務に従事するスタッフなら、
常にお客様から自分が見られる事を意識するのが当然であり、
どんなお客様に対しても等しくもてなすことに最善を尽くすべきである。
しかし、その行動が監視され評価されているとしたらどうだろうか?
自分の成し得た功績が直接評価の対象となる歩合制のセールスマンならばのみならず、
お客様の心からの満足という功績には即効性の薄い評価に
無償の喜びを感じるサービスマンなら、耐え難いものがあるだろう。
しかもその採点者が経営側の差し金と知っていては、
内心穏やかでいられるスタッフの方が稀有である。
ホール内の信頼性や連帯感に損失を生じる可能性も否定出来ない。
私なりの率直な感想がつい口から出たことなので父の反論を予想していたが、
意外にも苦い顔色を浮かべ、グラスを傾けるだけだった。

「お前の言いたいこともサオリタンの言いたいことも痛いほどわかる。
 オレだって自分でやってて何だが好きなやり方じゃない。
 わざわざその辺を歩いているオッサンとかをつかまえて金握らせて店に来させるのも、
 毎月の事ながら面倒くさい。でもな、やっぱり必要なんだよ、これは。
 お前さ、サービス業をやってて一番恐いものって何だがわかるか?」

私は父の話を聞きながら傾けていたグラスの手を止めた。
口の中に入りかけたドリンクが、ライムの爽やかな香りだけ残しグラスの底に戻っていく。
サービス業で一番恐いもの…。
色々な考えを頭の中で巡らせるが、これといった解答が思い浮かばない。

「…クレーム、でございましょうか?」

「はい、一番最悪な答え出ました。
 クレームはお客さんから店側に対する最高のプレゼントだろうが!
 サービスマンがクレームを恐れ忌み嫌うようになったらおしまいだ!
 阿呆!サオリたん、答えをどうぞ。」

私の返答を聞くやいなや、父は呆れ顔で罵りを並べ立てる。
ごもっともな意見ではあるが、何故だろう。
この人に言われると悔しくて、わけもなく反発心が芽生える。

「『慣れ』でございますわ。」

父に解答権を託されたサオリは、グラスを布巾で磨きながら呟くように答えた。
視線はグラスに固定したまま誰にともなく声を発したのは、
私にだけではなく周りの客に気を回したためであろう。
サービスマンが客の耳に聞こえる範囲で内部事情を語るのは、些か憚りがある。

「流石はサオリたん♪
 いいか、愚息よ。サービス業に限らないけど、どの職業にも共通して一番恐いものは、
 人間の慣れなんだよ。どんなに一流のサービスマンでもミスをする。
 その原因は他でもない、慣れる感覚があるからだ。
 初心を忘れないようにいくら心掛けても残念ながら体が慣れを覚える。
 自分で気付かないうちにミスを冒す。
 ある意味人間の本能的なものだけど、そんな言い訳はプロに通用しない。
 だから嫌でも何でも『スパイ』は必要なんだ。」

そう言い切ると、手元にある飲み物を一気に飲み干した。
グラスを口から離すと、鼻と上唇の間にドリンクの跡がくっきり付いている。
ついたった今、自らのサービス理論を朗々と語っていた人とは思えない、まるで子供だ。
父の言わんとすることは痛いほど理解出来た。
しかし父が言ったように、あの店のメイド達もここにいるサオリ達も
いくら練達なスタッフといえど感情を持った生身の人間だ。
ある意味経営側の信頼性に欠けるやり方に苦情の一つが出てもおかしくない。

「正直なところ、スタッフ達はどう思っているのですか?
 父上が極秘に事を進められるのならまだしも、全
 員が承知の上でとなると不平不満がスタッフ間に湧き上がっても然るべきかと存じますが?」

サオリが父を見て自分の鼻の下を指差す。
その意図する事に気付いた父は恥ずかしそうに拭った。
そして一度私の方を見ると、そのまま視線をサオリに向けた。
どうやら質問の答えは実際に働く従業員に聞け、と言いたいらしい。
サオリは私と視線を合わせるとにっこり微笑み、答えた。

「私もここに来た当初は『スパイ』が嫌で反発した事があります。
 しかし今はそんな事は全く思いません。
 私どもはディレクトゥールを心から信頼をしていますし、
 ディレクトゥールが為さる事は全て私どもへの愛情だと理解しています。
 これは私だけの意見ではなくメイズの総意ですわ。
 他のメイズも同じように感じています。」

サオリの言葉を聞いた直後、父は立ち上がりカウンター越しのサオリの手を握った。

「ぬぉー!オレは素晴らしいメイズに囲まれて本当に幸せだ!ありがとう!ありがとう!!」

手を力一杯上下に振り回されても、サオリの笑顔は崩れる事を知らなかった。
営業スマイル然としたところを全く感じられない完璧な笑顔には本当に感心してしまう。
ちょうどその時、向こうのカウンターにいた中年の男性がオーダー頼んだので、
サオリは父の手を解いて可愛らしいウィンクを一つ残し、離れていった。
父はサオリの後ろ姿をしばらく見送っていたが、
その視線はお目当ての娼婦から袖にされた間抜け男というよりも、
大きなランドセルを背負い慣れない道を通学する娘を見守る父親といった眼差しだった。
そんな父の様子が、あの店とこのバーとメイド達がどれほど良い環境で働いているかを、
物語っていた。同じサービスの現場で従事するものとして、嫉妬にも似た憧憬を覚えてしまうほどだ。
氷だけ入ったグラスを弄びながら、嬉しそうな表情を浮かべた父が尋ねてきた。

NEW!更新日5月10日

「うちのメイズ、ほとんどが現役の大学生なんだ。中には院生もいるけど。
 月給いくらくらい貰ってると思う?」

関東圏内の相場が今一よく分からないが、
経営者である父がわざわざ話題を振ってくるくらいだから決して安い賃金ではあるまい。

「だいたい10万円前後といったくらいでしょうか?」

本当はもう少し高いのだろうが、ここは父の顔を立てて若干低めに答えたつもりだった。
しかし、父はさっきの嬉しそうな笑顔とはまた別の、鼻で嘲笑う種類の笑顔を向けてきた。

「残念。正解はその三倍くらいでした。」

正直、父の言葉に耳を疑った。明らかに常軌を逸している金額だ。
大学生のアルバイト代にしては高額過ぎる。
それではまさしく、いかがわしい商売で手にする賃金と大差ないではないか。
何より驚くべきことは、私の手取りより遥かに高い。
そんなただ驚愕する息子の姿がさも可笑しいのか、
はたまた予想通りの反応が嬉しかったのか、
父はニタニタ笑いをしながら高額賃金の謎を説明し始めた。

「通常、飲食店では人件費は売り上げの三割に抑えないとどうしても経営が成り立たない。
しかし、うちの店は売り上げの五割を人件費が持って行く。
それをメイズも承知の上だ。会計は毎月交代でやらせているからな。
だからメイズは自分の店の経営状況をイヤってほど知っているし、
自分達の頑張りがどれだけ自分達に戻ってくるかも知っている。
言うなればメイズは我が店舗の従業員であり株主のようなものなのだ。」

そう言いながら、父は先ほどと同じく大切なものを慈しむような微笑みを浮かべ、店内を見渡す。
「夢の結晶」…つい先刻、父の口から聞いた時に感じた憤りは、今は微塵も無い。

「こういうメイズ喫茶ってさ、何だかんだで流行もんだから飽きられるのも早いわけよ。
 実際、この業界って今や下火になってきてるし。
 潰れていった他のメイド喫茶を何度も見てきたよ。
 それでもうちが潰れずに残っていられるのは紛れもなくメイズのサービスが本物だからさ。
 その証拠に…お前ちょっと斜め後ろのテーブルに座ったカップル見てみ?同業者だ。」

父が示す方向を横目で見てみると、確かに若い男女が向かい合ってテーブルに座っている。
二人とも傍目には地味に見えるが、着こなされたスーツやパンツの生地を
よく観察してみると高級そうなものだ。
しかもお互い向き合ってるにも関わらず、視線はメイド達の一挙動に釘付けである。

「あぁいった泥棒のような目つきで視察していく奴もいれば、
 堂々と自分の勤め先を名乗り出てあれこれ聞き出そうとする不躾な奴もいる。
 でもどいつもこいつも一流ホテルのスタッフだ。
 いつの間にか口コミで広まったらしいが
 …まぁ、誰であれここに来れば大事なご主人様だからな。丁重にもてなすさ。」

父の話を聞いた今なら、私でもここに通い詰めるだろう。
どんなに有名なホテルの支配人が書いたサービス哲学を語った本より、
父が経営するメイド喫茶に来る方がよっぽど良い勉強になる。
何故ならここには本物のサービスが肌で感じられる。
しかも驚くほど格安で。
しかし、父の話を聞くまでこの店の素晴らしさに気付かなかったという事は、
やはり私はまだまだ未熟なのである。
入社して四年。現場にも慣れてきて自分のサービスは完璧だと自負していた時期もあったが、
井の中の蛙も甚だしい。
自分よりも確実に若年であろうメイド達の接客を目の当たりにして、
一流の壁の高さとサービスの奥深さを思い知らされた。
いつの間にか下を向き、うなだれた私の肩を父が軽く小突いた。
ハッとして顔を上げた私に、笑顔を浮かべた父が言った。

「お前もまだ新人だろうけどさ、あと何年かすれば昇格していって部下が出来るだろう。
その時、お前が上司になった時、どうすれば部下の成績が上がると思う?」

唐突な質問だったが、これまでの父の話を要約すれば自ずと答えが出てくる。
父が店のため、お客様のため、メイド達のために尽力した事だ。

「部下が働きやすい環境を整える、事でございましょうか。」

それまでからかうような笑顔しか見せなかった父が、ここにきて初めて満足気な顔で微笑んだ。

「オレがどんなにサービストレーニングや労働形態に気を配っても、接客をするのはメイズだ。
 お客さんの事はもちろん一番に考えているが、
 それよりも大切にしなければならないのは一緒に働くメイズなんだよ。
 顧客の情報管理だって『スパイ』だって、オレが押し付けがましくすれば反感を買うだけだし、
 心が籠もってないサービスになってしまう。
 でも逆に愛情を込めて接すれば、メイズは自然と働く意欲に目覚めるし
 自分がするべき事を言われなくても気付くんだ。
 お前の言うとおり、サービスの現場は環境が整ってさえいればスタッフは
 正しく充実し たサービスを客に提供する事が出来る。大事なのはそういう事だ。」

話している最中、父は私の目を見て一度も反らさなかった。
それは父親としてではなく、一人の熟練サービスマンとしての教示だった。
私はその時、地元にいるもう一人の父 坂本総支配人の言葉を思い出していた。
…父は自分に厳しく他人には優しく面倒見が良い。


「彼のサービスはお客様に対してのものではなく我々スタッフに対して存在するものだった。
 彼から与えられたおもてなしの心をスタッフが二倍三倍にしてお客様に提供する。
 本当に不思議なサービスだったよ。」


私がこの職業を選んでから辛いことは勿論幾多とあったが、
その倍くらい嬉しい気持ちを感じることがあった。
そのたびに私はこの職業に就けて良かったと思ったし、更に努力を重ねようと励んだ。
しかし今、私はこの職業を選んだ事を心から誇りに思う。
まだまだ足元にも及ばないが、この父と同じ業界にいれるのだから。

話も一段落ついて空になったグラスにも飽きてきたのか「帰るか。」と呟き、
父は懐から財布を取り出し、そこから無造作に一万札を抜くとカウンターに置いた。
随分と羽振りが良いものだと感じていると、
立ち上がった我々に気付き側にきたサオリに、父は「迷惑料込みで」と小さく囁いた。
サオリは顔色一つ変えず、黙ってそれを頂戴した。
父がいう「迷惑料」に身に覚えがある私は苦い顔をしてサオリを見つめ、目礼した。
ここで言葉に出して謝罪をするのは些か野暮った過ぎる。
そんな全てを見透かしているだろうサオリは、満面の笑みにウィンクを付け足して我々を見送った。

「行ってらっしゃいませ。ご主人様。」

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Comment

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● 訪問ありがとうございます。
拝読いたしました。

これだけの文章量…、一気に書かれるんでしょうか。
そうだとしたら、すごいよなぁ。

構想や執筆、どれぐらいの速度で書いているんだろう、と
文章量に圧倒されています。

では。
ポー兄弟 | URL | 2008/04/28/Mon 22:53[EDIT]
● 
初コメありがとうございます。

そうですね、ここまで書いて一ヶ月くらいかかってます。
結構ゆっくりめに書いているもので。
構想は書きながら考えていってるので、頭の中で二転三転していますな。
要人(かなめびと) | URL | 2008/04/30/Wed 14:01[EDIT]
● 
こちらも楽しみにしてます♪
みい | URL | 2008/05/07/Wed 10:09[EDIT]
● 
>>みいさん
今日からこっちも本格的に進めていきたいと思います。お楽しみに♪
要人(かなめびと) | URL | 2008/05/08/Thu 10:11[EDIT]
● 
読んでいてためになります! はたして私の接客はどうなんだろうか?と、不安を感じました。 最近“初心を忘れていたな…” と反省させられました(涙)
| URL | 2008/10/25/Sat 13:52[EDIT]
● 
>>夢さん

どの職種でもサービスの基本は一緒ですからね♪
と言いつつ書いていながら自分でも反省する点が多々ありました><
一流のサービスマンへの道は長く険しいです。
要人(かなめびと) | URL | 2008/10/27/Mon 16:17[EDIT]
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さくらと空 
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